【スポーツインフォメーション堺 Vol.12】
●特集/人はなぜ走るのか? ―堺市民駅伝・堺市民マラソン・泉州国際市民マラソンを訪ねて―
公園などで走りを楽しんでいる光景を良く見かけます。走りに駆り立てられるものは、何だろう?素朴な疑問をもたれる方もあるのでは。今回の特集では、歴史ある境市民駅伝を中心に堺市民マラソンそして泉州国際市民マラソンを通して走りに対する魅力を伝えたいと思います。

堺市民駅伝競走大会の歴史
堺市民駅伝が始まった当初どうだったのか。素朴な疑問から当時の関係資料を調べてみた。当時の資料は意外と少ない。昭和24年の1月15日に成人の日が制定されその記念として、青年の部・高校の部は1人で走るマラソン、中学校の部が5人で走る駅伝だった。この中学校の駅伝が今の市民駅伝の始まりらしい。昭和26年1月16日の朝日新聞では、「成人の日」記念駅伝入賞者の記事がたった1段13行の生地で紹介されていた。当時のコースは、市役所をスタートに全市1周コースだった。昭和31年から高校・一般の部(青年の部を改称)も駅伝競走になり堺市民駅伝競走大会となる。経済産業の発展に伴い自動車の交通量が増えたので、昭和36年金岡公園・南花田間の2周コースとなった。昭和41年から浜寺公園の周回コースとなり、昭和55年から今の大泉緑地公園で実施され現在に至っている。

<当時活躍された方々のお話>
木村悦造さん(70歳)河内長野市在住
2回目ぐらいから出場。その後福助の監督として選手を指導。当時は、福助・クボタ・府大が強かった。練習は科学的でなく、『陸上競技マガジン』を参考に皆で研究してメニューを作った。ダンベルがないので16ポンドの砲丸を抱え片脚跳びや腰に砂袋をつけて走る練習をした。
浜田喜一さん(71歳)幸通り在住
市民ランナーとして独力で研究練習され昭和31年から平成4年まで出場。昭和30年代はスポーツ用品が少なく性能もよくなく価格も高く大変だった。マラソン人口も少なく沿道の応援はまばらだった。
今西修次さん(59歳)堺市立浜寺南中学校校長
昭和40年あたりから54年まで市民駅伝出場。昭和46年から中学校陸上部監督として指導された。堺市女子駅伝を昭和55年より市民駅伝に組み入れ女子ランナーの参加にも尽力された。走る駅伝から教える駅伝、今は見る駅伝となった。タスキ(心)をつなぎ、渡した後の安堵感、仲間を信頼しチーム全員で喜び合える感動、時に自分の力以上の結果を出すこと。これが駅伝の魅力と魔力だ。

<堺市民駅伝大会に参加する中学校、小学校の先生の声>
・堺市立福泉南中学校 陸上部顧問 渡辺 敦教諭
「部員たちが全国大会に出場するに及んで、はまってしまった。ところががんばっていた分失うものも多いと気がついた。そこで、学校の生活と部活動以外で部員たちが余裕をとれるよう心がけるようになった。部員たちにやりたいことをやらせてあげる時間の確保だ。練習に1分でも早く来て活動を始め早く終えるのがモットーになった。また、スランプが続いてもいかに立て直していくか。そのために、努力を惜しまない、努力に勝る天才はないと部員に言っている。」
・堺市立東三国丘小学校 横田 登教諭
「担任から呼びかけて、チームごとに申込みます。子ども達主体の活動です。練習は、子供が自分で走る目標タイムを作る。練習中に実際の走った時間を告げてカードに書き込ませる。その記録から走るペースを子供が決める。勝てるようになりたいが子ども達へのプレッシャーになるので、そこまでは要求しない。練習を見て低学年の子供が高学年になったら駅伝に出たいと興味を持ってくれること、またいずれ学校あげての取り組みになればと思います。」
・堺市立登美丘南小学校 勝村 謙司教諭
「堺市民駅伝のことを聞き、クラブ活動で冬場の子ども達の目標として参加することになった。完走して、友達と力をあわせて励ましあい自分のベストを出すことを知って欲しい。休み時間など自主的に走る子ども達が出だし、下級生も一緒になって走る光景があり、異学年の交流にもなっている。この駅伝に向けて、教職員の協力もある。冬休みに学校の周囲を自主的に保護者と共に走る子どももいて、保護者の方もうれしく思っている。」
・去年優勝のドリームチーム 前田 賢治さん
「試合に出たいがクラブ所属でないので出場できない。金岡公園体育館の共用陸上のつながりから何とかしよう。そこでできたのがドリームチームである。私はマネージャー的な役割をしている。宇野監督は、『走りを楽しむ。楽しくなければ陸上でない。』という。メンバーの中には、フルマラソン2時間20分台の記録を持っている吉村さん、今も共用陸上で走っている脇家さん、宇野監督自身も現役である。市民駅伝は、成果を発揮できる場。私自身、中学生の時に恩師に陸上でお世話になったので少しでもお返しできればと思っている。」

第56回 堺市民駅伝競技大会 1月20日(日) 大泉緑地公園
午後8時30分。大泉緑地公園の園路本部スタート付近に各校、各チームが、すでに場所とりを終え、軽いアップを始めている。スタート地点の大きな青いアーケードが公園によくマッチして、選手のやる気をさらに盛り上げる。準備体操がすみ小学生の部が始まる。第1区を走る元気な子ども達が、真剣な眼差しで号砲を待つ。いよいよ、スタート!勢いよく小学生たちがめいめいの思いを胸に飛び出してゆく。次の走者にたすきをつなぐために走る。スタート地点には、チーム旗を持参して声援を送る仲間、大きな声でわが子を応援する保護者、ビデオをひたすら回す人が陣取る。次のランナーが手をあげて合図を送ると、しんどさがうそのように必死にがんばる。次に中学生男子がスタート!日頃から部活動で鍛えてきた各チームの本領が試される時だ。
さらに中学女子、高校女子、一般女子は、一斉のスタートだ。最後に、高校男子、一般男子が、同時にスタート!各チームに声援、応援があり、競技だけでない走る魅力を楽しむ様子が伝わってきた。

優勝した人たちの声
<宮山台ウイングス>
・初めて優勝した。区間賞とった。うれしい。
・去年2軍。今年1位でよかった。2㎞でタイムを計って順番を決めた。正直うれしい。堺市立宮山台小学校 古川 浩司教諭
子ども達にやると決めたことは1ヶ月続けよう、2ヶ月続いた子には本番まで続けようと引っ張り作戦だった。当日は、子ども達は走り終えたことに満足感を持ち大人の我々は懸命に走る子ども達の姿に胸が熱くなった。
<堺市立福泉中学校A>
・よかった。自分の力を、全力を出し切れた。
・優勝できてうれしい。これからもがんばりたい。
・あきらめずにがんばろうと思った。
<堺市立庭代台中学校 女子>
・区間賞とれてうれしい。
・優勝できたし区間賞は自分的に満足。
・みんなの足をひっぱらないようにがんばった。
・1番でたすきをもらって緊張した。何とか一番でよかった。
<ドリームチーム>
・優勝したかった。みんなと会うのが楽しみで今まで続いている。
・調子が悪く40秒あった2位との差が15秒くらいまでつめられた。年をとっても走 ります。
・チームのため最後まで力が抜けない。ただ、楽しみながら走りに取り組みたい。来年 もぜひ出たい。
宇野 真監督
走ることの魅力を知ってもらおうと『みんなに、夢を持ってもらおう』これがドリームチームの名前の由来です。中学、高校生たちに少しでも一流選手の走りを見てもらっていい刺激になればと思っています。そのためにも今後も連覇を続けたいです。

各小学校の児童感想文から
堺市立宮山台小学校
大橋隼人・・・優勝できて、区間賞も取れたから、11月から練習を頑張って本当に良かったと思いました。
根上まお・・・やっと駅伝終わってホッとした気分。こけてうでいためてしまったけど、最後まで走る練習してよかった。
高木亜希子・・・これだけ練習して(駅伝が)たったの1回しかなくて。1つのことをいっしょうけんめいがんばることはとてもよいことだと実感しました。
堺市立登美丘南小学校
安原一揮・・・だいぶ前にいる人をダッシュして抜いた。ゴール近くでもう1人抜いた。ちょっとずつ(ペースを)あげたせいですごく疲れた。11位になれてよかった。
中川千穂・・・いつもどおりに走るつもりだったが緊張のしすぎで、思うように走れなかった。そのせいでみんなにおくれをとってしまったからすごくくやしかった。
河村 亮・・・走るのはなかなかおもしろいと思った。やっぱり見るよりやった方がおもしろかった。駅伝に出てよかった。
堺市立東三国丘小学校
島田雄斗・・・当日、ウォーミングアップの時、心臓が飛び出るぐらい緊張した。絶対抜かされると思いながら走っていた。めちゃくちゃしんどかった。
山田祐実・・・(練習は)当日のためにもなぁー、と思うと楽はできなかった。日に日にきつくなっていって、おおげさだけど死ぬかと思ったことがあった。当日は楽しかった。
松下真由・・・(たすきを渡した瞬間))走りきったんだ、あんなに運動が苦手だったのに。とうれしくてよろよろ歩きながら思いました。

第31回 堺市民マラソン(久野杯) 2月3日(日) 大泉緑地公園
8時40分。大会を楽しみにされていた人たちが本部テント前に集まってきた。完走の部。赤いゼッケンの小学生がずらりと並んだ。600人程の人が一斉に走り出す。その後中学校、高校、一般が男女別にスタート。新チームでのぞむ中学生、自分自身に勝とうとしている選手。ゴール付近では声援、拍手が聞こえてくる。会場は充実感に満ちていた。

走り終えた人たちの声
・30歳~39歳の部優勝 松本悦治さん
「職場が、大泉緑地の近辺で毎日通勤走している。2週間子の泉州国際市民マラソンのスピード練習になると思い参加した。長距離は5年前からだ。納得できる記録が出た時の達成感、充実感は大きいので走っている。」
・10㎞男子の部優勝 辻原孝幸さん(46歳)
「仕事が終わって長居公園を毎日走っている。年齢のこともありまさか優勝するとは…。最後はばてました。走ることは20年近く生活の一つになっている。」
・10㎞女子の部優勝 小田前一美さん
「トレーニングをつめば、結果、記録として返ってくるところが魅力です。走っている時は苦しい、やめたいと思います。ゴールテープを切る瞬間が何ともいえないのです。走りの知らない人もぜひこれから走ったらいいですよ。」

第9回 泉州国際市民マラソン 2月17日(日)

これから走る人たちの声
・五所直己さん(42歳)
フルマラソンの魅力は、自分で走りをコントロールするところ。それと完走の達成感。苦しいこともあるが、次また出たいと思う。
・末崎隆典さん(56歳)
ホノルルマラソンにぶっつけ初挑戦。それからのめりこんだ。走りが人生そのものになった。記録は、短縮され、回復力が早くなることで身体の不思議を体験できた。この大会は、橋あたりで風が強くしんどいと思う。
〈当日の様子~レース後半より~〉
31㎞地点。1位の植松選手が走り抜ける。ちょっと時間をおいて、2位、3位の川島選手、福原選手が必死に追う。しばらく時間がたって4位集団5,6人が頑張る。後続はしばらく見えない。ぱらぱらと通過する。かなりきつそうな表情も見える。必死に歯を食いしばって走っている選手もいる。女子の選手も見えてきた。谷川真理さんも頑張っている。
ゴール地点。いろんな表情でゴールに飛び込んでくる。走った後振り返り一礼をする人、健闘をお互いたたえ合う人達、倒れ込んで係員に抱え込まれる光景もあった。ゴール前の『完走した1人ひとりがヒーロー、ヒロインです。』と何度もアナウンスがあった。その通りだと思う。雨の中のゴールであったが、なぜか選手が輝いて見えたからである。どのひとの表情も、苦しさから解放され満足そうだった。

走る魅力にはまっている大勢の方々がいて堺の市民駅伝、市民マラソンそして、泉州国際市民マラソンがある。その時々の熱く強い思いが毎年引き継がれて今日に至っている。走りを考えている皆さん、とりあえず、走ってみてください。その時、走りに対する考え方が見えてくる。この取材に協力頂いた皆さん本当に有り難うございました。