【スポーツインフォメーション堺 Vol.11】
●スポットライト
「運」は、どこから来るのか
「ボン」と船体が急に持ち上がった。座礁とも違う。一瞬「えひめ丸」の不幸な事故が脳裏をよぎる。急いでデッキに出てみると夕暮れの海に悠々と遠ざかるクジラの背中があった。南緯24度、東経158度、オーストラリア東の南太平洋上。出港してから288日目の出来事だった。
立尾征夫さん60歳。昨年世界民族芸能祭の最終日8月6日に旧堺港から出港し、太平洋→ミッドウェー→南米チリ(ホーン岬沖)→大西洋→南アフリカケープタウン沖→インド洋→オーストラリア沖→小笠原→堺と東回りで単独無寄港の世界一周を成し遂げた。しかも、28フィート(約8,54m)の最小艇で最年長という快挙である。
今回のスポットライトでは、60歳の鉄人がどの様にこの大冒険に挑んだかを紹介します。

―航海中いろいろなことがあったと思いますが、一番きつかったことは?
「無風のときやね。風がない時が一番精神衛生上悪い。まあ順風というときのほうが少ないんやけど、少々荒れていても艇は進むからね。無風の日が続くと本当にあせる。いつまで続くんかとね。食事のこともあるし・・・。」
ここで食料について少しふれておこう。最小艇ということで一番制約されるのが食料だった。その内訳は、白米30kg、釜飯300食、生ラーメン100食、缶詰(魚、肉)100個、味噌汁に入れるソーメン、野菜のドライフーズ、味噌、塩、調味料など。航海予定300日のうち200日分を積み込み、あとは魚を釣ってしのぐつもりだった。
「キハダマグロばっかり。ミチ糸を艇尾から流して。釣れる魚といったら世界中キハダマグロしか釣れんかった。一週間キハダマグロばかり食べていた時もあったね。なるべく米とかは残すようにしていたから。米も一日70gと決めていて、400cc~500ccの水でおかゆにして食べていたね。釜飯(140g)を食べるときも一食分を2回に分けて食べていたよ。」「水は、海水を真水に変える装置を積んでいたから、売るほどあったな。電力は、風力発電でけっこうまかなえたから。」

―船上の生活はどうでしたか?
「自然が相手やから逆らわんように生活していたね。朝は日の出とともに起きて、夕刻には、晩飯食って、なるべく早く寝る。蓄電力はやはり限りがあるから、余分には使わない。」「NHKの国際放送は、毎日聞いてたな。位置によって周波数違うからちゃんと合わして。全部ニュースやから、時には、日本の友達より日本のことを早く知っていたりしたよ。あの豊中の小学生のむごいニュースなんかね。」

―やっぱり、シケの時は、大変でしたか?
「シケのときは、もう何もできへんからね。強度設計とか全部できているから安心といえば安心なんやけど。やはりずっと揺らされて艇がミシミシいう時は、不安になってしまう。ずっと艇内で耐えるしかない。僕は、無神論者やけど、シケがひどいときは思わず祈っていたよ。世界中の神様に祈っていたね。メザシの頭にも祈ったよ。でも最後は、アカンかったらアカンしそれも運かなと半分あきらめの心境もあったなぁ。」
確かに運はあった。実はホーン岬を回る2日前後からの追い波で浸水し、まだ航海2/5の時点で食料の米がかなり被害を受けた。厳しい食糧事情は、ますます逼迫したが、キハダマグロに助けられながら航海は、続いた。最後のミチ糸が切れて釣りができなくなったのは、あと一ヶ月程の航海予定で食料が立つ時点だった。「この時も、ああ神さんはよう考えてはるなぁ」と一人感謝していたという。
実は、冒頭で紹介したクジラとの遭遇のあと、浸水があった。この浸水は完全に止まらず、帰国までバケツで毎日水をかき出していた。今から思えば航海不能になっていてもおかしくない事故である。また、順風のとき、一日で180マイルも進んだ日もあったという。このクラスの艇では驚異的な距離である。こんな話が次々出てくると本当に強運の持ち主だと感心させられる。
立尾さんの話を聞いてるうちに、この航海は単なる幸運が続いたのではなく、「一食70gの米でまかなう。」というある意味無謀な「チャレンジ精神」と「根性」がすべての運を引き寄せたのではという思いだった。「根性」。最近は久しく耳にしない言葉である。彼の航海は、文字通りの「ハングリー」な航海だったが、なぜか「ハングリー」というより「根性」あるいは、大阪弁でいう「ど根性」の感覚が語り口から伝わってくる。それは、現代のようなもの余りの時代でなく、戦後の食糧難、物資のない時代に鍛え上げられた忍耐力からくるのではないだろうか。いずれにせよ321日の航海を200日分の食料で成し遂げた精神力。まさに脱帽である。
彼は、今次の航海のことを考えはじめている。今度はもっと操艇技術を身に付けて、まだ体力のあるうちに挑戦したいという。あのホーン岬沖で見た山のように巨大な氷山透き通ってダイヤモンドのように煌く青い海を見るために。