【スポーツインフォメーション堺 Vol.16】
●特集/第53回全日本実業柔道団体対抗大会を振りかえって
誘致のきっかけ
平成10年、大浜体育館で全国大会や国際大会が開催できるようにと、450枚の畳を購入した事がきっかけとなり、中体連・高体連・道場連盟等の主催する府下大会・近畿大会はもとより、沖縄~北海道まで50校1000名以上が参加する全国高等学校柔道招待練成大会や部門別全国大学柔道選手権大会、50カ国以上が参加する大阪国際柔道神前大会等が堺市で開催されていることが、広く柔道関係者の間で話題となっていた。そんな折、或る会合で全日本実業柔道連盟(以降全実連)の幹部役員でもある橋本圭史氏(㈱ミキハウス総務部長)、米田圭佑氏(㈱近畿通関総務部長)と色々と柔道談話をしているうち、
第53回全日本実業柔道選手権大会の誘致に愛媛県と大分県が立候補していることを知った。政令指定都市移行を目指している堺市も立候補地のひとつとして、開催できる可能性があるか調査してもらうことをお願いした。
本大会は団体戦として日本で屈指の歴史と伝統のある大きな大会で、オリンピック、世界選手権、国際大会、全日本選手権出場者等一流の選手が数多く出場し、毎年心に残る感動的な試合が展開されている。また昨年より、講道館と全日本柔道連盟(以降全柔連)では合同事業として、精力善用自他共栄にもとづく柔道の原点に立ち返り、人間教育を重視した「柔道ルネッサンス」活動をスタートさせており、これも本大会の目的でもある。
本大会を誘致することは、一流選手の交流や競技をまぢかに実感できる良い機会であるのみならず、堺市のスポーツ振興や青少年健全育成に対しても大きく貢献するものであると考えた(堺大会では、アトランタ・シドニーオリンピック60kg級、金メダリストの野村忠宏選手が、参加選手、観客、役員に対して「柔道ルネサンス」活動を大会会場で呼びかけ、その役割を果たしてくれた。)
このようなことを当時の堺市教育スポーツ振興事業団理事長大隈鉄則氏、堺市教育委員会教育次長指吸明彦氏、西濱士朗氏等と相談した。色々な課題点はあるけれども、この大会の開催は、堺のスポーツ振興に大きな役割を果たすだけでなく、「自由都市堺」の歴史と文化にも触れていただける良い機会でもあり誘致に最善を尽くすことを決定した。その後、全実連幹部役員が堺を訪れ、施設、組織、予算面等の調査や懇談をする中で、正式には平成13年12月3日、全柔連会長山口信夫氏より大会開催の依頼があり、平成14年2月26日、堺市長木原敬介氏から市をあげて本大会を受け入れる表明を得た。

課題点の克服
鳥取県米子市の県立武道館柿落としとして開催された第51回大会、長野県長野市真島の冬季オリンピックの会場でもあったホワイトリングで開催された第52回大会を視察した。いずれの施設も、試合会場、練習会場、控室、会議室、ドーピングルーム、軽量室、更衣室、観客席、駐車場等充分備えており、全日本大会や国際大会等問題なく開催できる施設であった。堺での大会となれば、金岡公園体育館が相応しいけれども、施設面で色々と工夫しなければと痛感した。
組織面においては、いずれの大会も県柔道連盟が主管、各市柔道協会の協力体勢で取り組みをしており、充分な組織で県や市そして全実連とタイアップしながらの開催となっていた。堺市では地元として堺柔道協会が主管となるので、やりがいを認識し、気力と意欲を駆り立てる体制づくりの必要性を痛感した。
式典面では、従来は開会式が非常に長い時間を要して参加選手もウンザリした表情になっていたこともあり、工夫次第では短時間でしかも注目を集めることができるのではと考えた。レセプションにおいても、足腰を痛めている高齢者が多いなか立食パーティでは辛いものを感じたのか途中で退席する人もいたので、全員座席を用意し、盛り上がりと楽しめる企画を話し合った。
運営面では参考になることが多く、その資料を研究資料としてすべてを持ち帰り、それを堺方式として応用・活用する事ができた。
予算面においては、全実連と主催する開催地の補助金、主管団体の集める協賛、広告等があてられていた。協賛、広告を依頼し成果あげるには、不況の時期だけに大変な努力が必要であろうと考えた。
広告面では、ポスター1000枚、リーフレット3000枚を用意し学校、社会教育施設、道場関係、各市柔道協会関係等に送付していた。また主な交通機関の駅や施設には、横断幕、垂れ幕、立看板等でPRをしていた。これも大いに参考になった。
報道機関では、NHK、読売、朝日、毎日、産経等12社の記者が取材をしていた。本堺大会では、本年9月大阪で世界柔道選手権大会が開催されることもあり、28社50名の記者が熱心に取材していた。特に世界選手権無差別級代表を争う井上康生(総合警備)と鈴木圭治(平成管財)は、本年の対戦が1勝1敗で、本大会での対戦が期待されていたこともあって、NHKでは30分コーナーとして両選手を中心に53回大会が放映された。

大会を盛り上げるために
大会を盛り上げるために国歌斉唱を、世界的に活躍をしているオペラ歌手橋本加奈映さん(筆者の知人のお嬢さん)に、着物姿・日本髪でアカペラで歌って頂いた。その歌声は、厳粛な中にも華やかさがあり、聞く人に感動を与えた。また、レセプションにおいても大いに活躍をしていただいた。
また、世界選手権出場者12名と本大会表彰選手1名の合計13名の選手の監督に連絡をとり、各選手50枚、合計650枚のサイン入り色紙を依頼し、協力のおかげで用意することができた。先着順に1日目は女子1部の試合出場者250枚、2日目は男子1部出場者450枚を観客に手渡すことができた。サイン入り色紙を手にした人は、歓喜していた。それ以外に、井上、野村、秋山、鈴木、上野等の各選手は時間の許す限り、サインに応じ柔道ファンを喜ばせていた。両日とも観客席は、満席となり、特に2日目は大変な人で、最高に盛り上がりのある大会となった。
13名の選手には、世界選手権の活躍をも祈念し、堺の伝統工芸士による名前入りの包丁を授与した。
試合会場については、従来まで全柔連規定の50畳、6会場で行っていたが、それを国際規定の40,5畳、6会場にしていただいたおかげで、試合会場を充分に取ることができ、勝負の早い、めりはりのあるスムーズな大会を運営することができた。
堺柔道協会役員一同は、それぞれ多忙な仕事を持っているなか、大会成功を目指し、準備を万全に期するため、幾たびともなく会議をかさねた。幸いにも全実連、大阪府、堺市をはじめ関係各方面から多大なご指導、ご支援をいただくとともに、府下各地区柔道関係者や地元柔道ファンの全面的な協力と一流選手の感動的な活躍にもより、本大会が大成功に幕を閉じた。
全実連副会長の米澤氏より、「ここ十数年この大会を見てきましたが、色々な面で最高にすばらしい大会でした。本当にありがとうございました。」とお礼を言っていただいた時、思わず涙する人もいた。

大会から得たもの
昭和21年、先駆者の方々が敗戦で焼土化したなかから不死鳥の如く立ち上がり柔道クラブを結成、翌年堺柔道協会に改称し堺柔道の基礎が築かれました。堺柔道協会の合言葉は「明るく、たくましい堺っ子を育てよう」「柔道制の灯を消すな」の2本柱で、本年で創立57年になります。初めて全日本級の大会を主管し、切磋琢磨したなかで、今までにない知識と組織の充実を図ることができました。また、素晴らしい人物との心の触れ合いがあり、信頼のできる多くの友を得ることができました。本大会を契機によりいっそう青少年健全育成を目標とした柔道振興のため、施設、組織、指導者、プログラムの充実に向かって努力する所存です。

堺柔道協会 会長 上野十次郎
プロフィール
天理大学出身(講道館柔道7段)
平成元年 堺市立大浜体育館館長
平成13~14年 堺市教育委員会生涯学習部理事
平成15年 福泉公民館館長・東百舌鳥公民館館長併任
平成15年 堺柔道協会会長就任