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【スポーツインフォメーション堺 Vol.17】 |
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●特集/堺とハンドボール |
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第12回JOCジュニアオリンピックカップ 2003ハンドボール大会開催
堺ハンドボール連盟 理事長 宮崎寛
JOCジュニアオリンピックカップハンドボール全国大会
2003年12月、今回で第12回を数えるJOCジュニアオリンピックハンドボール大会が堺で開催されました。これまで全国9ブッロックから、男女各12チームが選抜出場してきましたが、今回からは、全国9ブッロックから男女各16チームの選抜出場となり、堺選抜が地元開催地チームとして出場できることになりました。この事は、堺のハンドボールの普及発展のため喜ばしいことと存じます。
どう大会における大阪府選抜の成績は男子が1回、女子が3回優勝というすばらしいものです。また、このチームの中には堺からも多数の優秀な選手が出場しています。
この大会は、将来のオリンピック選手や世界選手権大会等において活躍が期待できるジュニア選手の発掘と育成目的として開催されていますので、優秀な成績を収めた選手はオリンピック有望選手と認定し表彰しています。
第1回大会から第5回大会までは、大浜体育館、金岡体育館をメーン会場として開催していましたが、平成9年の第6回大会以降は家原大池体育館、金岡公園体育館をメーン会場として開催しています。
今年度は、12月25日行われた開会式の後、全日本男子選手7名と出場代表選手との公開練習が行われました。高いジャンプと速いシュートを目の当たりにし、会場は驚きの声に満たされ、雰囲気が一気に盛り上がりました。競技は26日から28日までの3日間行われ、連日激しくぶつかり合い、好プレーの連続で会場を大いに沸かせました。今年度の成績は左記の通りですが、堺選抜女子チームは第3位と立派な成績を収めるとともに、キャプテンの岡本真季(上野芝中学校3年)さんは優秀選手として表彰されるなどの活躍をしました。
第1回、JOC全国大会の開催は、1992年に遡ります。それまで低迷していたハンドボール界の底辺拡大、指導・普及ひいては国際的選手の育成、オリンピック選手の発掘という目的で、「学校」という枠をはずした大会を、日本ハンドボール協会が打ち出したことによります。また、その開催地については、自薦・他薦絵を含め、いくつかの候補地の中から、当時の大阪ハンドボール協会会長の神田 清氏がハンドボールの豊かな土壌が出来上がっていた大阪の、交通の便等を考慮して堺でという案を出されたということです。
その後、堺市・立派な優勝旗を寄贈いただいた堺仁徳ライオンズクラブ等の多くの方々の地道な努力と温かいご理解とご支援のおかげで大会開催が実現できたというわけです。まず、大阪開催を実件させた神田 清氏、そして会長を支え陰に陽にご苦労された大阪ハンドボール協会理事長の東 嘉伸氏、全国中学校体育連盟ハンドボール部理事長の真田 元氏、日本ハンドボール協会常務理事で京都の小西博喜氏、大阪中学校体育連盟ハンドボール部理事長の今井修一氏、そして堺ハンドボール連盟理事長の西村穣治氏の方々の御努力に敬意を表し、感謝を申し上げたいと思います。
堺におけるハンドボールの歴史
堺におけるハンドボールの歴史は古く、昭和14年に白倉仲助氏(元大阪府立助大教授)が譜代の全身において指導されたことに始まると云われています。その後、昭和24年に竹中清治氏(元宮山台中学校校長)が浜寺中学校で始められ、昭和25年に村田 弘氏(元全日本男子監督)が府立三国ヶ丘高校で、また、大学では高山正悟氏(大阪府立大学)が不休・発展に貢献されました。この方々あの活躍が、大阪府下では豊中市とともに堺市がハンドボールの発祥の地といわれる礎を築いたものです。
その甲斐が会ってか堺市では日本代表選手・役員として全国大会に有名な方々が輩出することになります。
先の村田氏・高山市に加え、東 嘉伸氏(三国ヶ丘高~日本大~現堺氏教育委員)、井上裕人氏(鳳高校~日本大~府立堺工監督)、荘林康次氏(浜寺中~三国ヶ丘高~神戸大)、飯端良寿昭氏(三国ヶ丘高~関学大)、本田 洋氏(府立堺工~日本大)、志賀良弘氏(仙北高~大体大)、西村聖子氏(中百舌鳥中~四天王寺高~初芝高監督)、山崎理恵氏(中百舌鳥中~福島女子高)等です。
中学校ハンドボール大会の成績をたどってみますと、昭和27年の第1回近畿大会から4年連続で浜寺中学校女子優勝、男子2位。昭和43、46年には福泉南中学校(監督 西村穣治氏)男子が昭和46、47年にはどう女子が優勝、さらに女子は同年から開催された第1回全国大会、翌年の第2回全国大会で見事連続日本一になりました。
昭和53年には近畿大会で月州中学校男子が優勝し、全国大会でも第3位の成績を収めました。さらに、平成5年には男子の浜寺中学校(監督 石川 實氏)と南八下中学校が全国大会の決勝戦で相まみえ、1位、2位を独占し、全国に堺の名を大いに高めました。その後、平成11年には大浜中学校(監督 織田俊三氏)女子が全国大会で優勝しています。また、平成15年8月18日から20日の間、函館市で行われた全国大会で、近畿代表の上野芝中学校が優勝し、堺市に5度目の栄冠をもたらしました。その実績により、今回の第12回JOC大会女子の部において堺選抜がシードとなり、それに恥じない活躍となりました。
高等学校においても、大阪代表として栄えあるインターハイに出場した学校は、男子では昭和26、30、40年に府立鳳高校が、昭和31、34、40、42年に府立三国ヶ丘高校が、昭和39、43、44、45、46年に府立堺工業高校が、昭和48年に私立初芝高校が出場するなど多くを数えています。その中で、昭和40年の府立三国ヶ丘高校、昭和46年の府立堺工業高校ベスト8に入る健闘、さらに昭和39年の新潟国体では府立堺工業高校が、準優勝を勝ち取りました。
また、平成9年には大阪で「 なみはや国体」が開催され、その年竣工した家原大池体育館が、ハンドボールのメーン会場となりました。その後、同体育館は中・高等学校の中央大会並びに国体の予選会場となるなどハンドボールのメーン会場となっています。
堺ハンドボール連盟の活動
堺ハンドボール連盟は、1974年(昭和22年)に設立されました。ハンドボールの不休・発展に努力し、現在、堺におきまして、ハンドボールは他の種目に劣らず、数多くのチームがあり、活発に活動しています。堺氏種目別優勝大会、堺選手権大会、堺室内選手権大会の3大会を開催しています。
また、ハンドボール界最古の市対抗戦で、今年で35回目を迎える堺市―豊中市定期戦は、毎年堺市と豊中市と交互に会場を移しあっています。(この対抗戦は、高校生男女、男子シニア、一般男女の5試合を行っています)
試合以外でも、財団法人堺氏教育スポーツ振興事業団からの要請により、前記の池原大池体育館で、小学生を対象にしたサタデーハンドボール教室の指導にあたっています。このように将来の有望な選手の育成を図るとともに、地域のスポーツ振興に寄与しています。
最後になりましたが、JOCジュニアオリンピックハンドボールがますます大きな大会に発展し今後とも堺でこの大会が定着するよう、堺ハンドボール連盟も努力していきたいと考えています。この大会は、多数の皆様の力添えが支えとなり運営できています。今後とも皆様の応援をよろしくお願いいたします。
ハンドボールの競技の変遷と私の思い
ハンドボールは、当初、サッカーと同じコートで11人制で行われ、オフェンスとディフェンスに役割が分かれゲームをしていました。ところが昭和32年に女子が7人制に変更されました。7人制になり、コートも現在の大きさになり、11人制と違ってスピードが優先され、見て楽しい競技に転換されてきました。
私は平成11年から堺ハンドボール連盟の理事長としをさせて頂いておりますが、昭和38年に三国ヶ丘高校でハンドボールと接したときは男子のハンドボールが7人制に変更になった直後で、7人制からスタートいたしました。そして、昭和40年、その当時恵まれまして熊本でのインターハイに出場でき、ベスト8というすばらしい成績を収めることができました。その後、幸いにもハンドボールとかかわることができ現在に至ったわけですが、村田 弘先生・東 嘉伸先生にお会いしたことが、今日の私の支えとなっています。
平成13年からは車椅子ハンドボールにも携わるようになり、平成14年度に大阪車椅子ハンドボール連盟を立ち上げ、現在では、堺氏城山台にありますファインプラザ大阪において車椅子ハンドボールの普及にも努めています。2月1日には、姫路で車椅子ハンドボール第1回全国大会が開催されました。
ジュニアからシニア、また、障害をお持ちの方にもハンドボールを楽しんでもらえるよう願っています。
また、平成16年にはハンドボールシニア全国大会を大阪で開催する運びとなっています。まだまだマイナーなスポーツですが、()ハンドボールは堺から世界へ」という大きなテーマのもと、堺から日本へ、さらに世界に向けて優秀な選手、指導者が輩出するよう微力ではありますが努力していきたいと思っています。今後とも、皆様の温かいご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。
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