【スポーツインフォメーション堺 Vol.19】
●特集/堺市立小学校連合運動会の歩み
堺の小学校で6年生を経験した人なら誰もが、「連運」という言葉をよく知っていると思います。そして、秋空のもと、大きな競技場で走り、または跳び、投げの競技には精一杯の力を出してがんばった思い出が甦ってくることだろうと思います。
その長い歴史と伝統を持つ小学校連合運動会も、今年で第53回目を迎えました。
今年も10月13日、14日の2日間、堺市立金岡公園陸上競技場に於いて、約7200名の市内小学校6年生が一同に集まり、平素学習した技を競い、体力を高め、お互いの親睦と交流を図る大会が開催されました。
競技種目は、いろいろと変遷はありましたが、現在では個人種目として陸上競技場で、100m走、50mハードル、走り幅跳び、ソフトボール投げ、400mリレー、団体種目としては、野球場で縄引を行いました。
また、競技会の形を取っていますが、参加6年生児童にとっては、小学生生活最後の大きな大会でもありますので、出場者一人ひとりには、1位、2位、3位や上級、中級、初級の賞状以外に自分の記録を書いた記録証が手渡されました。
このような堺市で取り組んでいる連合運動会は、その歴史、規模から見ても小学校の競技大会としては、全国的に類を見ない大きな大会なのです。
まず、その歴史ですが、随分古く、大正7年11月2日に堺市教育会が主催し、当時の大浜水族館前庭(現大浜体育館付近)において、主として児童の志気高揚を目的として、競技やマスゲームを行い、各校毎で得点を競い、優勝旗を授与していたものが最初のようです。その後もこのような形で毎年行われていたようですが、戦争がはげしくなり、残念ながら中止となりました。
戦後は昭和26年に堺市教育委員会のもと、戦後の民主教育にふさわしい大会として、当時の中百舌鳥競技場(現中百舌鳥小学校付近)において「第1回堺市立小学校連合運動会」として開催されました。この時すでに、28校、3913名の6年生が参加しています。
そして、昭和38年の第13回大会からは、現在の金岡公園陸上競技場に場所を移して開催されるようになりました。
また、昭和41年の16回大会からは堺市立小学校校長会が主催し、校長会事業の一つとして行われるようになりました。
その後、泉北ニュータウンの造成に伴い、児童数も急激に増加するなかで、市内を東・中・西・南の4ブロック(区域)に分け、会場も金岡公園陸上競技場以外に浜寺公園広場や鴨谷野球場でも開催されるようになりました。
参加児童数がピークだったのは、昭和58年の第33回大会での15704名でした。
また、平成元年の第39回大会では、金岡公園陸上競技場の全面改修の為、大阪市内の長居陸上競技場と球技場をお借りし、12019名の児童を一堂に集めて実施することになりました。この時は輸送計画も大変でしたが、競技の運営面でも多くの人員が必要となり教育委員会の指導主事等も全員応援にかけつけ、多くの人たちの協力で無事に開催できたことを今でも昨日のことのように覚えています。
このあと、現在のように金岡公園陸上競技場で2日間に分けて、市内の6年生が一堂に会する形となり続けられています。
このように、80年近くの歴史を持つ堺市立小学校連合運動会は、多くの先輩諸氏の熱意と努力で継承されてきました。特に準備段階からその運営を任されている堺市初等教育研究会体育部の先生方の苦労は並大抵のものでなかったかと思います。
昨今、児童の体力低下が危惧されてきていますが、この連合運動会が市内の小学6年生の体力向上に果たしてきた役割は大きなものがあります。それは、市内のそれぞれの小学校がこの大会に向けて、授業以外の業間や放課後の時間をうまく利用して、体力づくりに取り組んでいるからです。そして、児童にとっては、小学校時代の最後に自分の記録を知り体力づくりをする場が、この連合運動会に向けての練習の場なのです。
また、児童の卒業文集のなかで、「こんなすばらしい競技場で走ることができてうれしかった。」等、この連合運動会での思い出を書いてくれている人がたくさんいることも大変うれしいことです。
このように、脈々と続いている堺市立小学校連合運動会は、堺市の小学校にとって大変意義深い行事の一つなのです。
今後とも、この連合運動会が堺市の先生方の努力によって、引き継がれていくことを強く願っています。