【スポーツインフォメーション堺 Vol.20】
●特集/堺の少年サッカー
=夢・努力・感動を伝えたい=

NPO法人「堺少年サッカーリーグ」理事長 野中大成
プロフィール
1939年生まれ
高校サッカーで全国制覇した宇都宮高校でサッカーを始める。東京オリンピック日本代表でOBの小沢・岩渕両選手の指導を受ける。宇都宮大学卒業。
大阪府入庁→サッカー部入門
1982年 城山台JSC設立  団長
      6年前、美木多と合併、城山・美木多JFC代表
2000年 堺市スポーツ少年団本部委員
2001年 NPO法人『堺少年サッカーリーグ」理事長

堺の少年サッカーの活動は元気です。平成16年度の堺市スポーツ少年団には、サッカーをはじめ軟式野球・剣道・空手・陸上・バレーボール等16種目、166団、団員4470名が登録されております。その内、サッカーは39団、団員1347名で、全体の30%を占めており、2位の軟式野球38団、団員809名を抜きん出ています。また、大阪サッカー協会4種(小学生)には259団が登録されていますが、その内泉北地区は33団です。
堺市における少年サッカーの歴史は古く、全国規模な大会として、全日本サッカー大会は1977年(昭和52年)に第1回が開催されましたが、その約10年前に綿西小学校で産声が上がったと聞いております。当時は、主に中学校での部活動でのサッカーが中心で、三国ヶ丘、登美丘、福泉中学校等10余のサッカー部が存在しておりました。
その後、1970年代に入り、小学校の教職員が中心となり、熊野、浅香山、浜寺小学校等のチームが活動しはじめ、徐々に広がりをみせてきました。そして、1973年(昭和48年)に第1回堺市立小学校サッカー大会が開催され、少年サッカーが活発となりました。その後、熊野、平岡、赤坂台、光竜寺、北八下、白鷺、綿西小学校や下野池JSS(ジュニアサッカースクール)のチームが上位争いをしていました。当時は教職員による指導が主体で、堺の少年サッカーの種まきは、教職員の方々のご尽力によるものでした。
1980年代に入ってからは、教職員の他に地域ボランティアの指導が加わり、大会も多くなり、活性化が図られ、日置荘西、登美丘東、城山台、登美丘南、若松台、百舌鳥小学校等や新日鉄のチームが台頭し、その後は徐々に、教職員の指導から、地域スタッフに、また小学校から広範な地域になり、青英学園、ガンバ堺、トロッポ、泉北コスモス、TSK等のチームに変化していきました。
現在では、少子化による団員数の減少により、小学校区のみの活動には限界をきたし、同じ中学校校区となる小学校区どうしが合併したのが城山美木多(城山台・美木多)、高原(高倉台・三原台)、竹宮(竹城台東・宮山台)、堺北(新金岡・東浅香山)等のチームです。さらには中学校のジュニアユースまで小中一貫した指導の組織チーム等、カテゴリーの広がりがみられます。
このように各種各様のチームが存在してきた中で、チームの交流、親睦、連携の強化を図り、少年サッカーの振興向上と良好な風土と基盤づくりを目的に、堺の少年サッカー関係者の総意に基づき、4年前に46チーム参同によりNPO法人「堺少年サッカーリーグ」を設立しました。その中での活動は広範囲にわたり、スポーツ少年団との共催事業の他、堺少年サッカーフェスティバル(毎年8月開催)を核として、スキルアップセミナー、指導者研修会、低学年・中学年大会、リーグ戦、女子サッカー教室の他、山口マツダ杯、宮崎ペプシカップ、京都JA杯への派遣等、年間を通じて、低学年から高学年、男子から女子まで幅広い活動を実施しています。
また、他の組織との連携事業へも参画し、現在、大阪府立障害者交流促進センター(ファインプラザ大阪)の身障者サッカー教室や堺東ライオンズクラブのフットサルの指導や大会の主管、並びに桃山学院大学キャンパスでの大学生との交流練習会等、団員の広範な体験と指導者の社会貢献をも視野に入れた活動を理念としています。
堺から育ち、イギリスで活躍中の日本代表稲本選手(青英学園出身)やJリーガー岡山選手(赤坂台出身)、女子では「新生なでしこジャパン」に選ばれている高橋彩子選手(城山台出身)等、日本を代表する先輩達の後をつぐ選手が育ってくれることを願って、今後とも指導者一同努力してまいりたいと思います。